【京都府長岡京市】再開発の進む西山天王山駅付近にもいろいろ歴史があるもんだなあ! 西国街道を歩く(調子八角編)
阪急の長岡天神駅から一駅だけ大阪方面にあるのが阪急西山天王山駅です。天王山という地名から大山崎町だと思っていたのですが、駅周辺は長岡京市のようです。この地から見渡せる天王山はご存じ、明智光秀と羽柴秀吉が雌雄を決したと伝わる山崎の合戦における「天下分け目の天王山」として知られています。
2022年7月21日に駅周辺を散策してみました。幹線道路わきに所々、畑が広がっています。農作業をしていた高齢の男性の方に聞いてみると、この辺りは、「京都縦貫道や阪急西山天王山駅、京都済生会病院の建設などで大きく様変わりした」のだそう。小泉川を境に長岡京市と大山崎町の境界にあたる道路の交差点に「調子八角」と彫られた大きな道標を見つけました。右 一文橋・京、左 山崎と書かれています。
近くにあった背の低い石標の前に長岡京市の案内看板がありました。「ここ調子八角は、西国街道と丹波街道 との分岐点にあたり、長岡天満宮や光明寺、さらに丹波方面に向かう旅人と京都へ向かう旅人はここでわかれました。」とあります。
調子八角ってなんだろうと気になったので、調べてみました。どうやら「調子」はかつて平安時代にこの地域を治めていた地方豪族「調子氏」の一族に因む名のようです。東の国(現在の銚子市)を支配していた下毛野氏の末裔が乙訓郡へ移り住み、藤原一族の家人として調子荘を開いたと言われています。「八角」は、かつてこのあたりに「八角堂」があったと伝わっています。
史跡として残っていないのは残念ですが、再開発がされているあたりもいろいろ歴史がありますね。ぜひ皆さんも、平安時代より以前から存在した都、「最初の京」へ足をお運びください。