【京都府長岡京市】終戦間近に長岡京にもあった空襲の傷跡残す煙突に平和への願い込めた祈念碑がJR長岡京駅にありますよ!
広島や長崎での原爆投下から77年、終戦の日も近づいた2022年8月9日、JR長岡京駅を降り立つと、煙突の形をした平和祈念碑を見つけました。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月19日午前10時30分、天王山上空から飛来したアメリカ軍の戦闘機が国鉄神足駅(現JR長岡京駅)付近に機銃掃射を行いました。この空襲で日本輸送機の女子従業員1名が犠牲となり、三菱製紙で2名、松風工業で1名、さらに民間人2名も負傷しました。(長岡京市ふるさとガイドの会監修長岡京市の史跡を訪ねてより)
神足駅が開設された1931年(昭和6年)当時、乙訓郡内の国鉄の駅は隣接の山崎駅と向日町駅の二つだけでした。神足駅は、新神足村の住民と村ぐるみの新駅設置を強く願う運動の中で生まれた請願駅です。周りはほとんど竹やぶで、昼でも暗かったほどだといいます。その後、駅周辺に様々な工場が開業し工場群を形成します。空襲はその工場群を狙い撃ちして行われました。
空襲は、操縦士の顔が見えるほどの超低空飛行だったと伝わっています。この煙突のモニュメントは、1987年(昭和62年)に老朽化で解体されるまで、惨禍を伝えて立ち続けた実物の5分の1の大きさで復元され、神足空襲を今に伝えています。長岡京市では、空襲の行われた7月19日を「平和の日」と制定しています。