【京都府長岡京市】長岡京を十倍楽しむ乙訓十景長岡京バージョンを巡ってみました。前編
京都の西山連峰の麓に位置する長岡京市、向日市、大山崎町は、古くから乙訓地域と呼ばれてきました。令和元年度京都府交響地域プロジェクト などが中心となって乙訓景観十景というのが選定されています。2022年6月19日、早朝からその長岡京バージョンを散策してきました。
長岡天満宮からさらに小丘を上がって行くと西山公園があります。「西山公園体育館」には、長岡京市が一望できる展望デッキがあって、西山を背景に市内一円が展望できるデッキがあります。ここも景観十景の一つ。展望デッキのすぐそばからウォーキングコースへの遊歩道へ下りることもできます。
遊歩道の先にある「西山公園子どもの森」は、長岡京市内の子どもたちが、地元名産の竹や、たけのこについて、熟練者(長筍会)の人たちと一緒に学ぶ場所です。ここも景観十景とされています。
走田神社の裏山に位置する「奥海印寺竹の小道」は、駒札によると、「この道は江戸時代から京都西山三山(善峰寺、光明寺、楊谷寺)を参拝する人の近道でした。また昔から奥海印寺と長法寺両村の産土神を奉る走田神社への参道でもあり、近代になって、筍栽培の手入れとともに美しい竹の小道となりました」(乙訓地名詩編集 チーム乙訓)とあります。
戦国時代に、中小路宗綱はこの地に開田城を築き、仁和寺領開田庄の荘官をつとめ、今で言う長岡天神駅のあるアゼリア通りとなっている開田地域を国衆として治めたと言います。阪急長岡天神駅のバス停前には、中小路氏によって築かれた開田城の土塁の一部が復元され、公園として残っています。ここも乙訓景観十景の一つに数えられています。現在も代々長岡天満宮の神官は中小路家に受け継がれています。
文献に見える長岡京市のある地の歴史は、桓武天皇の長岡京遷都(784年)から遡ること266年、継体天皇が都として「弟国宮」を営んだことに始まります。まさに「最初の京」の魅力はまだまだありますよ。今回はここまで、また後編で!