【京都府長岡京市】長岡京より太古の弟国宮推定地 井ノ内の鎮守・乙訓坐火雷神社に行ってみました!
長岡京市や向日市のある乙訓地域は、平安京より遡ること10年の784年から、その規模は平安京と変わらぬ大規模な都として長岡宮があったことで知られます。まさに「最初の京」というべきものですが、さらにそれよりも太古の昔、518年(継体12年)に、継体天皇が、現在の長岡京市井ノ内地域に遷都し、弟国宮としたと推定されています。
継体天皇が、弟国宮の遷都にあたって、512年(継体6年)に火雷神を奉り、社殿を造営したとされる「角宮神社(すみのみやじんじゃ)」を2022年8月6日に訪れました。社伝には、継体天皇がここ弟国に遷都するために、「勅し、造営し給い火雷神を鎮め給う」とあります。
角宮神社は、正式には、乙訓坐火雷神社(おとくにいますほのいかづちのじんじゃ)、通称乙訓社とも呼ばれます。
井ノ内地区では、長岡第十小学校の建設時の埋蔵文化財発掘調査で、「弟国」と記された奈良時代の墨書土器の一部が出土しました。古事記伝には、弟国宮は、「井乃内村、今里村の辺なり」と記されています。
井ノ内車塚古墳や井ノ内稲荷塚古墳などの市北部の古墳群は、継体天皇即位後に一気に出現しています。このようなことから「弟国宮」は、現在の長岡京市北部ではないかと推定されているのです。